遠久朶寮の思い出

18才になったばかりの昭和35年4月に遠久朶寮に入りました。寮生活の還暦を過ぎた今でも何かの拍子に懐かしく思い出します。

「遠久朶寮での思い出」を少し辿ってみます。

寮は海岸の砂浜に続く松林の中にある2階建てのおんぼろ建屋(四方から支柱で支えており、今なら耐震審査には不合格)でした。入寮の日2階の一番奥の部屋に案内されましたがなんと寮長と同室と判りびっくりしました。通常は8畳に3人ですが、寮長の部屋なので2人。ところが絶えず4年生の誰かが寮長のところにやって来るのでいつも緊張していました。

昭和35年頃の木造寮(すぐ裏が海)

新入寮生の寮歌の練習のあと、早速開いて頂いた新入生歓迎コンパでは先輩がお酒を注ぎにきてくれましたので、ハイと湯呑茶碗を出すと、「おまえは大分飲めそうなので止めとくわ」と言いつつも、飲めないと断る新入生を酔わせようと無理やり飲ませていました。その後、寮の裏の海岸砂浜で、パンツ1枚でファイアーストーム。更には砂浜を走らされ、お酒も入っているので酔っ払ってバタバタと倒れる新入生が沢山いました。今ならパワハラで問題になっているでしょうね。また毎朝ランニング、その後ラジオ体操をしてやっと朝御飯でした。こんな生活に恐れをなしたのか1ケ月もしない間に何人かの新入生が寮を出て下宿人となりました。

食事代ですが、朝は味噌汁とめざしとタクアンで18円、夕食はいわしなど魚の煮付けと今は高価なほたるいかなど少々のおかずで31円、2食で49円だったと記憶しています。食費1円値上げするにも寮の総会で決めるなど自主的な寮でした。足りない栄養は大学の食堂と寮の近くの八百屋での付け(借金)で買う卵・ソウセージ・インスタントラーメン・缶詰などで補いました。昼・夜とも12時を過ぎて食堂の戸棚に御飯が残っておれば「アタック」と言って食べても良いというルールがあり、冬場は冷たくなっているが何人かで分け合って大分お世話になったものです。

春、気候が良くなると砂浜松林に若いアベック(カップル)が来ます。見つけた寮生が「蜃気楼が出たよ」とみんなに知らせ、愛の語らいを覗き見したものです。

初夏朝早く砂浜に出ると波打ち際で大きなアサリが捕れます。持ち帰りフライパンで空炊きするとすぐに口を開け、それはそれは大きな身が現れます。丁度良い塩加減ですが、砂抜きをしていないので口の中がじゃりじゃり・・・

寮には風呂がないので、時々仲間を誘って近くの銭湯に行きます。その途中に70歳位のお婆さんが営むラーメン屋があり、往きに注文しておいてゆっくり風呂に入り、復りに寄ると出来上がっていて、待つことなくすぐに食べることができました。今日の焼き豚が大きかったとか小さかったと言いながら。

秋には寮祭が開かれ、日頃は女人禁制ですがこの時は女子学生も大勢来ました。食堂ではいろいろなものが展示されましたが、中には展示したエロ写真に見入っている女子学生を見てニヤニヤ喜んでいる先輩もおりました。また、寮祭に纏わって、寮の洗濯機などを買う為の資金集めにダンスパーティを開くのですが、そのパーティ券を売るために、繁華街を彷徨ったり看護婦さんを目当てに病院に出かけたりしました。

冬の暖房のない寮は本当に寒かったです。洗濯はめったにしませんが、たまに洗った衣類を部屋に干すのですが、(今のように脱水していないので、)朝になると凍っていることもありました(今ならストーブが有り、コインランドリーが有りますが)。

食堂のつらら

期末の試験勉強は一つの部屋に同級生が集まって 先輩から受け継いだ情報を基に「山」の賭け方、薬用植物の学名や局方品の化学名を「体」に覚え込ませる秘法を学びました。今となっては極めて幼稚な方法ですが、我々寮に伝わる素晴らしい方法でした。記憶力の乏しい私にとっては救いの神で助かりました。

4年生の追い出しコンパとなれば、1年生が近くの八百屋、電気屋、食堂などを回ってお酒を寄付してもらいました。たらふく飲んで積った雪の上で眠る輩も何人か。

昭和38年の「38豪雪」について。朝起きると見たこともない大雪。1階は埋まっておりキシキシと音がしていました。何とか学校に到着したが「休講」。喜んで寮に戻ったものです。しかし今ほど流通が発達していなく、近くの八百屋の食料品はみるみる底をつきました。電話で「大雪で建物が崩落する危険性があるので雪下ろしをするように」との指示有り。寮は古く正に危険と、寮の賄さんの指揮で屋根に上り、寮生皆力を合わせて雪下ろしをしました。2mくらい積もっていたので危険で時間がかかったが、何とか出来ました。山岳部の一人として活躍した積もり。そのあとの賄さんのおにぎりとみそ汁で冷えた体が生き返りました。等々 今以っていろいろ懐かしく思い出されます。

そんな中での4年間寮で学んだと言うかみっちり仕込まれた長幼の序(先輩・後輩の秩序)、人間・人格形成、我慢、和・輪・話のすべてが社会に出てから大変役立ちました。卒業して半世紀以上経ちますが、現在でも年に2回大阪の富山薬窓会近畿支部「山金会」サロンであるパブ・ラウンジ「ビーツ」で寮生の集いを開いています。上記の入寮当時の寮長はじめ先輩・後輩の垣根を越えて、寮や薬業界の思い出話、健康寿命を延ばすために何をしているかの近況報告、旅の話などで花を咲かせ、元気を貰っています。

肥田 正孝(51回卒)

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